Blog! Blog? Blog~ 番外編
●2009/4/19「伊能のおあそび」
千葉県内でも有名な地元の春のお祭り「大須賀大神祭礼」(「伊能のおあそび」と呼ばれて
いる)が開催された。華やかな「まんどう」が繰り出され、着物姿の女性達が踊りながら練り
歩いていった。伊能歌舞伎も奉納上演された。春の訪れである。
伊能のおあそび 平成21年4月19日開催

伊能のおあそびについて(「散歩の達人」WEBページおよび「Wikipedia」から引用構成しました)
この祭礼は成田市大栄地区伊能の大須賀大神で行なわれる江戸時代中期から伝わる行事で五穀豊穣を祈る春の風物詩です。
昔の祭りを再現したこの祭りは、紋付袴姿の若者4、5人が先頭の高さ5mの大万灯を振りながら進み、女性は鮮やかな着物姿で踊りながら山車を引いて大須賀大神へと向かう。これは「ぶっこみ」と呼ばれるお練りである。
午後は、神社内の舞台で、お囃子や踊りが披露され、「伊能歌舞伎」が奉納上演される。


●2008/11/16「伊能歌舞伎!!」
今日は近くの公民館で伊能歌舞伎を見てきた。
400年以上も前の江戸時代から伝えられてきた民衆歌舞伎だという。
いつも一緒に飲んでいる(昨晩も飲んでいた)近所のオジサン達が本物の役者に変身していた。
涙がでるほど感激した。
伊能歌舞伎 平成20年11月16日第十回公演

伊能歌舞伎について(公演目録から引用しました)
元禄10年(1697年)に始められたとされる伊能歌舞伎は、大須賀大神の奉納歌舞伎として演じられてきました。伊能の芝居は、昭和36年6月19日付けで千葉県の無形民俗文化財に指定されましたが、昭和40年の公演を最後に上演が中断されていたため、現在は千葉県の文化財の指定は解除になっています。(昭和55年指定解除)
その後、復活を願う地元の声や伝統文化の育成という大栄町の施策を背景に、平成11年11月に34年ぶりに復活し、平成14年2月5日には町指定無形民俗文化財の指定も受け、数多く上演をしています。なお、合併後の現在も成田市指定無形民俗文化財として引き続き指定されています。
絵本太功記十段目「尼ヶ崎閑居の場」(子ども歌舞伎)
(あらすじ) 武智光秀の母皐月は尼ヶ崎に住んでいます。そこへ孫の十次郎が出陣のため別れの挨拶に来ます。
皐月は光秀の妻操と一緒に、十次郎と初菊との祝言をしてあげて、十次郎を戦場に送り出します。
やがて光秀が現れて、敵の久吉をねらって竹槍を刺します。しかし刺されたのは久吉ではなく、母の皐月だったのでした。
操と初菊が涙でむせんでいる所へ十次郎が深い傷を負って来て、皐月と一緒に息をひきとります。
折から人馬の物音がして、光秀は戦場へ向かいますが、久吉に呼び止められ、山崎での合戦を約束して別れます。
近江源氏先陣館「盛綱陣屋」
(あらすじ) 源頼朝亡き後、その跡目をめぐり源氏は、北条時政を中心とする鎌倉方と源頼家を中心とする京方との戦が始まる。近江の佐々木家は兄の盛綱が鎌倉方へ、弟の高綱が京方へつき一族が分断して出陣。戦は鎌倉方が優位に進む。
盛綱の一子小三郎は実の従兄弟である小四郎(高綱の子)を捕える手柄を立てて初陣を飾る。京方の使いとして和田兵衛が小四郎を返すよう求めるが、盛綱は母・微妙に小四郎の切腹を勧めると、微妙はこれに応じて小四郎を切腹させることにしたのであった。
逃げ回る小四郎を手にかけようとしたその時、信楽太郎、伊吹藤太が駆けつけ、わが子を取り返そうと高綱が出陣したとのこと。しかし、高綱は討死にしたと伝えてきた。それを聞いた時政は、高綱には影武者が無数にいることを知り、盛綱に高綱の首実検のために首桶の蓋をとると、奥の間から様子を窺っていた小四郎が飛び出し、「わしも後から追いつきまする」と言うやいなや、刀を腹に突き立てる。盛綱が改めて高綱の首を実検すると、明らかな鴈首であった。盛綱は全てが高綱の策略であることを悟り、あえて高綱の首であると時政に言上する。
盛綱は物陰に隠れる篝火を呼び出し、高綱の策略が成功したことを告げ、潔く命を捨てた小四郎を誉めそやすのであった。
盛綱は主君時政へ偽りの報告をした詫びとして切腹しようとするが、和田兵衛は盛綱が死んでは高綱の策略が無駄になってしまうことを説く。

