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「ニライカナイ(理想卿)はあるのか?・・・コラムの<あとがき>にかえて」
 

 21世紀になり、バブル景気の余韻もなくなり長引く不況の頃、私の仕事も収入も少なくなり生き残りのためダウンサイジング(規模縮小)を試みていた頃でしたが、思うように進まず苦しんでいました。そういう時は何故か良くない事が起きるもので、今で云うリストラ(人員削減)をさざるをえない状況でした。それによって殴打未遂事件が起こり、そのため私は精神に変調をきたしてしまいました。影響から事業継続は難しいと判断し、想うところがあって日本の仕事場を閉めタイにわたり療養もかねた海外移住生活をはじめることにしました。その頃の日常生活をまとめたのが、コラム「タイでの仕事と生活」です。

 なんとか心が癒えて少しづつ仕事も出来るようになり収入確保のためタイと日本を行き来する生活パターンになりました。その時は田舎で自給自足生活をしようという気持ちが強くなり、終の棲家を探しあちらこちら探し回りました。とりあえず帰国時の家にしていた山中湖村を含め、静岡市、高遠市、那須町、下野市、いわき市、田村市、鉾田市、南房総市、富良野町と探しまわり、ロケハンの数泊もあれば数ヶ月も住んでみたりしました。落ち着いたのは成田市でした。その頃の生活をつづったのが、コラム「楽炎」から「楽縁」そして「楽園」です。そうこうしているうちに無性に本業である吹きガラスをしたくなり、縁あって沖縄に移り、2年ほどすごしました。それでも訳もわからずあれこれ悩んでいた時にタイから再度「大学講師」のオファーがきて、それに気持ちが移ってしまいました。準備もかねて成田市の家に戻って10日あまりの2011年3月11日の東日本大地震とそれにともなう福島原発事故が襲いました。未曾有の事件を境に想いは逡巡し現在に至ります。

                        
   (故郷・宮城県仙台市近郊の閖上浜は津波に流され荒野と化していた。成田市の家の畑にホットスポットが見つかった。)

 多くの人にとって夢の生活である「海外移住生活」そして「田舎での自給自足スローライフ」を経験してみて、それらが不確かなものでなかろうかと思うようになったのが掲載をやめる理由です。
 「海外移住生活」は確かにいろいろな意味でもメリットがあります。そして現状でも有意義であることは間違いありません。決定的な危ゆさは、経済的基盤の不安定にあります。なんとか月10万円もあれば生活できますので15万円以上の年金収入があれば誰でも可能です。しかし、今囁かれているように、もしかして途中で年金が改変されたり、日本が債務超過になりデホルトにでもなったり、とんでもない円安になったら、収入減になり足元が崩れるのです。それと5年あまりタイで生活して少しづつ国が豊かになり物価もかなり上がってきていることがわかります。あと10年位は急変しないだろうと思えても20年後となるとかなり悲観的に捉えるしかないと思います。今でさえ65歳以上は5人に1人ですが2025年頃には3人に1人になります。想像できないでしょうが誰がこの国の生産力を経済力を支えるのでしょうか?
 実感として云えるのは、10万円の生活費では、つつましい生活レベルでしかないこと、ビザの所得や更新、日本タイ間の旅費を含めると+2〜3万円位維持費が膨らむことです。そうなると今でも日本で居る時の維持費と大差なくなるということです。経済的メリットはあまりあるとは云えません。経済的難民としての選択は日本の繁栄を後ろ盾とした前提にあると思います。

 それでは、「海外移住生活」が砂上の楼閣だとしてみて、貧乏人の格安生活は「田舎での自給自足スローライフ」で可能なのかというと、やはり断言できないのです。実際、畑を作り野菜や果物を育ててみました。おいしい新鮮な野菜や果物が食せます。でも季節や収穫時期、収穫量がかたより一定しないこと、コスト計算しても僅かな余裕しか生まれません。なによりも動物性たんぱく質が全くとれません。これでは自給自足にはなりません。このアンバランスをなくすには食用の動物を飼育するか海辺に面している所に住むしかありません。タイにいた時は朝早くビーチにいくと漁師のおこぼれにすがることができました。日本でそれが可能かは解りませんが、希望があるとすれば沖縄しかないかもしれません。BIGINの「オジー自慢のオリオンビール」の曲にあるように”魚があれば生きられる”のです。
 もう一つ、私が野菜や果物作りを中断した理由には放射能汚染があります。住んでいた成田では畑にホットスポットが見つかり収穫を止めました。それだけでなく、原発再稼動が全国でされようとしています。もし30年以内に起こるだろうと言われる東南海地震がきたら同じ事が起きます。福島原発4号炉のように停止して冷却中であっても放射能汚染は起こりました。その時、確実に日本は終わりでしょう。避難して生き残れる場所は沖縄かタイしかないと思います。それでも経済的基盤は失われるのは確かです。
 
 正直、今は先が読めない袋小路にはまって思考停止している状態です。「ニライカナイ」は沖縄の言葉で「理想卿」の意味です。
ずーっと追い求めています。まだ旅は続きますが、いつか探し当てたいと思っています。やはり…「沖縄」か!?
 (2014年3月3日)

 続き→やはり予想は当たってように、アベノミクスの影響で円安がすすんでいて120円台になってきた。そのあおりで海外移住者の出戻りが増えている。2014年秋にはバンコクでのリタイア老人が殺された事件がきっかけで、「ノンストップ」「モーニングバード」のテレビ番組からコメントを求められ、事件の背景にあるリタイアメントの実態などを説明するためにビデオ出演した。このコラムでも紹介したように、1バーツ3、6円位のレートでは暮らせない、つつましくても日本での暮らしのほうが安くつく。海外からの出稼ぎ労働者の流入も減少が続いている。これから起きる状況は誰の目にも見えてきていると思う。巷には貧乏老人があふれ不安定低収入の家庭が増え、貧富の格差は拡がるばかりだ、というより貧困層の増大は半端ではない。いづれ「貧困老人の実態」について書こうと思っている。

 ところで、あれこれ仕事で国内外を移動していたが、今年は年の半分近く「沖縄」にいる。そこで意を決してアパートを借りて「半移住」することにした。すこしづつ準備をして、資金をクリアーしたら本格的に移住するつもりだ。やはり…「沖縄」だ?!
 (2015年9月5日)